2011年01月28日

高橋睦郎「俳句」

 最寄駅の駅ビル内の本屋で手にとったのだが、美術書のコーナーに置かれていた。というのも、高橋氏選の俳句に、写真を配した本だからである。

 しかも、俳句には英訳と、解説(英文付)という構成だ。国際俳句協会が立ち上がり、40ヶ国で俳句が作られている時代に合わせた内容だ。装幀も凝っていて、ボストンの本屋で見た日本文化紹介の写真集に凄く似ている。

 序文もエコクリティシズム(環境文学)としての俳句の可能性が論じられている。漱石が「草枕」で喝破したように、欧米文学の主題は人間であり、テーマは愛・正義・自由などである。

 俳句は人間を背後に、自然を前面に出しているという意味で、畏友子規も、世界でユニークな位置を占める文学と考えた。ようやく詩人が、定型を含め、これに注目して俳句界に参入し始めている。

 高橋氏もその先頭に立っているが、先日角川のパーティーに出ておられた。会場でもオレンジ色のマフラーをしたままの、氏の姿が俳人の中で、格別お洒落だったことは間違いない。

 色の感覚に敏感な方なのだろう。選の中の子規句も、色の対比を使った、まるで印象派絵画のような次の句を挙げている。

  木枯や紫摧け紅破れ   子規
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2011年01月27日

成田龍一「司馬遼太郎の幕末・明治」

 司馬遼太郎は高校生くらいからよく読んだ。「竜馬がゆく」や「坂の上の雲」のような代表作より、「関ケ原」や「翔ぶが如く」のような政治的にダークな面を描いたものが好みだった。好みは人間が出ます。

 しかし、江戸の通俗歴史読み物をここ10年研究するようになると、全く司馬に対する見方が変わってきた。歴史小説=歴史読み物は、過去を鏡にして現代を投影した文学だ、と。

 司馬が亡くなって十年。やっと、その神話化から逃れた、しかし、一方的に批判するのでもない、冷静な見方をする本が出た。

 本書は代表作の「竜馬がゆく」「坂の上の雲」を取り上げ、司馬が書いた、あるいは書かなかった幕末・明治、作品が発表された1960〜70年、そして現代の3つの時間軸から論じている。

 司馬は満州・本土決戦の戦車隊にいた戦争世代であり、右寄りの「産経新聞」記者であり、左派がアカデミズムを独占した日本史学を後目に、高度経済成長期の右派史観を基本に置いた。

 何より、筆者は、「史実」か「虚構」かと言った歴史学者が今でも陥りがちな二項対立には、この場合意味がない、と断じている。むしろ、大事なのは作家であれ、歴史であれ、記述の文法だ、と。
この1点を理解するかしないかで、私は歴史学者の値打ちを判断している。
posted by 雑食系 at 00:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月26日

森銑三「新橋の狸先生」

 副題に「私の近世畸人伝」とあるように、「近世畸人伝」へのオマージュから成った書である。現代でこれをできるのは、中野三敏氏を措いて他にいない。本書の解説も中野氏だ。

 近世、特に中期には、偏奇な人物が多い。しかも誰も伝記資料を集めようとしない。ところが集め出すと結構集まるのである。そういうことが可能なのは近世だけだろう。近代には「畸人」はいない。

 私も、珍しい軍記作者や和学者の伝をちょっと拾ったことがあるが、苦労して集める分、手に入れた時の楽しみは、何ともいえない。

 さて、中でも本書の場合、標題となった成田狸庵である。狸フェチといっていい。周囲もこれを愛しているのがいい。狸以外に目もくれず、金も名誉もいらない。そういう人物である。

 NHKの歴史番組では、この狸庵のことも聞かれた。番組の反応を2CHやツイッターでおっかけても、この人物の評判が一番よかった。

 もはや、私はこういう好事家的な研究は、やらないだろうが、この偏愛を理解し、愛する気持ちは失っていないつもりだ。

 本書の冒頭に掲げられた、狸庵の狸の絵は、真に迫っていて、しかも狸への愛に満ち溢れていますよ。幸せな人ですね。


posted by 雑食系 at 00:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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