2011年01月25日

藤井貞和「日本語と時間」

 昨日のクイズの回答は「すねる」。社会学や心理学では、名付けて「媚態」。攻撃しながら、甘えるのである。

 猫をかわいがっているうち、じゃれて甘えていたその猫が、こちらをかみ出したりする。「攻撃」も甘えの一種なのだ。仲のいい子供や男女はよく「喧嘩」しています。本当に険悪な仲ではこうはいきません。

 こういう「動く」「関係」を示す世界を、古来日本語では「こと」と言う。対して「もの」は、不動・既定・運命・概念など「動かない」世界を指す。これが藤井氏の言語観である。

 たしかに、男女の「こと」とは言っても「もの」とは言わない。恋は理性の及ばない「もの」だ、とは言っても「こと」とは言わない。

 出来事・行為などなど、みな「こと」は時間の経過の中にある。と同時に「人と人」「人とモノ」との「関係」の要素をもつ言葉だ。

 本書で主題にする、古文の過去・完了の助動詞が、現代文では「た」一種に集約されるという問題も、この認識から出発する。「けり」「ぬ」など、俳句にのみ生きている言葉の本当のニュアンスが解明されて、俳句評論にも欠かせない議論がある。

 と同時に「た」に集約されたということは、現在と過去の区別だけに近代以降は関心が移り、「今までずっと思っていたけれどほんとうはこうだったんだ」=「けり」、「もうこの時間は終わってとりかえしがつかないんだ」=「ぬ」といった、変化=「こと」のニュアンスが消えてしまった証拠なのだ、と思う。

 時間をめぐる味わい深い認識が、世界の散文化によって過去の「こと」になってしまった。なにがなにしてどうなった。そんな感覚ばかりでは詩は死んでしまう。俳句は最後の砦だ。
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2011年01月24日

中村雄二郎「術語集」

 学生時代、便利に使わせてもらった本である。70年代から80年代、中村雄二郎は受験に出る評論家としてかなり有名だった。

 本書ももはや古くなっている話題もあるが、今でも通じる本質的なものもある。冒頭のアイデンティティの説明などそのいい例だ。

 私は私だけで成り立たない。他者の存在をとおしてしか自己は確認しえない。この基本命題を、心理学を使って説明する点、当時の哲学者としては進んでいたのだろう。

 教師という「自己」は、学生という「他者」なしにありえない。学生のいない教室で授業をやっていたら、その教師は狂っていることになる。だから「自己」には「役割」が必要だ。

 待ち合わせの時間、カップルの会話を覗き見るのは楽しい。学生なのに背伸びした服装でいる娘は、ふるまいまですましている。きっと彼は年上で働いているなと予想するとだいたい当たる。

 さて、遅れてきた彼にどうふるまえばいいのでしょう?どうすればうまく、恋人としての「自己=役割」を獲得できるのでしょう?回答は明日ということで。

  @怒る A泣く B平然とする C物をねだる Dすねる
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2011年01月22日

堀切実「表現としての俳諧」

 今日は、角川「俳句」「短歌」の新年会。ふだん、誌上でのみ拝見したり、お世話になっている方とも話せる貴重な場だ。会費はかなり高価だが、それだけの意味のある人にとっては、高くはない。今日頂いた名刺の中には、有馬朗人元文部大臣もいらっしゃる。有馬先生の結社には、大屋さん・佐藤至子さんなど、近世の研究者で俳句をたしなむ方々もいる。

 研究者では、堀切実先生だけがお見えだった。俳諧の文体研究で、日本語学のそれまで成果を受け継ぎ発展させていて、後続の研究の先例となっているのが、標題書である。中でも、重要なのは、「T 芭蕉―連句」に収められた「蕉風連句文体論考」である。

 この論文は、発句に偏りがちな文体研究の弊を意識して、連句における文体研究こそ、俳文芸の文体研究の本質的課題ととらえ、山田孝雄をはじめとする国語学者の成果を援用しながら、提示態・省略・圧縮・倒置・配合・自他融合・切れなど、俳句独自の文体の由来が連句にあることを明らかにした点に功がある。

 それにとどまらず、この方法は、今後、蕉風俳諧以外の連句にも試みられることによって、俳文芸の文体史が確立してゆくだろう。また、俳文の研究においても、堀切先生が論考の最後で触れているように、俳文そのもの性格付けと、その雑多な種々相の実態を探る切り口として、機能するはずのものでもあることを強調しておきたい。

 なお、先生の門下からは、芭蕉の門人たちの作句理論を確認し、俳論用語の使用例を検証したうえで、その実作品までを分析し、中世歌論・連歌論から近世後期の蕉門系伝書に至るまでを見渡して、日本詩歌史のなかに蕉風俳論を位置づけた労作、永田英理『蕉風俳論の付合文芸史的研究』もある。

 
posted by 雑食系 at 00:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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