2011年01月04日

金時徳「異国征伐戦記の世界」

 昨年は、東アジア世界の変動に、誰もが関心を寄せた一年だった。こういう政治的に「生きた」内容に、文学研究、特に江戸文学の研究は関心がこれまで薄かった。しかし、そうも言っていられない、「生々しい」側面も、江戸文学とその研究の中には確かにある。 

 本書は、江戸時代を通じて出された、文禄・慶長の役についての軍記・小説を中心に、三韓軍記物や琉球軍記物、蝦夷軍記物まで視野に入れて、これを東アジアにおける、「正しい」戦争の理念「征伐」で括った。

 博士論文の書籍化には、正直言って中身も薄いものも、ないではない。しかし、本書はそうではない。とにかくボリュームの多い近世軍記の一分野を、通時的に見渡した点、まず力技である。さらに、出色は、朝鮮・中国側の資料と厳密につきあわせた、朝鮮軍記物の成立・転化の過程が実証的である。また、朝鮮軍記物から引き出せる「征伐」の論理と世界が、他の異国合戦軍記にも見いだせるとした点が、魅力でもあり、論議を呼ぶところでもあろう。

 読者の中には、「征伐」の論理と世界で、異国合戦軍記を割り切ってゆく本書の議論に、取り落とされた世界があると感じる人もいるだろう。それも当たっている。しかし、日本文学、とくに古典の研究者は、本書の抱懐するような政治性に余りに無頓着だったことにまず反省してから、批判をすべきだろう。文学とても、政治という揺り籠から生まれるものだ。正嫡であれ、鬼子であれ。

 まして、本書が扱う軍記や歴史小説は、政治と直結する。「軍記文学」なるジャンルを戦後確立した梶原正昭氏が、戦中派であって、「平家物語」の研究に取り組んだことは、氏の生きた時代背景なしに考えられない。氏が晩年、平成になって、近世軍記のような、より政治色の濃いジャンルの研究を強く訴えたことを、我々は忘れてはならないのだ。
posted by 雑食系 at 01:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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