2011年01月05日

フリードマン「フラット化する世界」

 かつて丸の内の大型書店に山と積んであった本だ。原書は2005年刊行。翌年邦訳が出て、大ヒットした。しかし、その時には手に取らなかった。2007年の正月、親戚のマクドナルドの店長までが、「フラット化」という言葉を使っていたのが印象的だった。

 教え子で、財務省の連中と仕事をやっている秀才と飲んでいて、やはり「フラット化」という言葉が頻繁に口から出ていた。でもまだ手にとろうとまではしなかった。昨年、オランダ・ベルギーへ旅をしたが、その機内で読むために成田の飛行場で、2008年刊の増補改訂版を入手。

 細部は忘れてしまったが、でも「フラット化」という言葉は、自分も口にするようになった。ネットによる情報化時代、「一発検索」は誰でもできる。そういう誰でもできる「仕事」の値段はどんどん価値がなくなってゆく、とフリードマンは言っている。

 ようやく、書籍や文学研究にも情報化の波がやってきている。ある作家に聞けば、売れている本を電子書籍化した場合、6割はアマゾンとネット関係の会社が分捕り、残りを旧来のプレスと作家が奪いあうことになるという。これでは、村上龍のように、自分で電子書籍の会社を立ち上げた方がいい。ある意味、文芸春秋を立ち上げた、菊池寛の時代に戻ったと言うべきか。

 フリードマンは、誰でもできる仕事を「バニラアイスクリーム」にたとえ、これからは創造的な組み合わせの「サンデー」を提供できる人間の価値が上がってゆく、と言う。「検索」なら猿でもできる。そこから何を産み出し、何を発信してゆくのかにかかってくる、というのだ。

 私のような江戸文学を研究していた人間が、ここ2年で、近代俳句の評論をできたのは、古典俳文学大系CD-ROM版、松山市HPの子規全句データベース、国立国会図書館の近代デジタルライブラリー等のお蔭をかなり蒙っている。もちろん、全集や雑誌の通読もやっている。しかし、何を検索し、情報を組み合わせ、問題化するかは、こちらの普段の関心とアンテナの問題だ。「フラット化」時代の研究を、気が付いたら、自分もやっていたことになるが、さて、その戦果やいかに。
 
posted by 雑食系 at 09:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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