2011年02月24日

高橋圭一「大坂城の男たち」

 高橋さんは、日野龍夫門下の俊英、かつ人格快活、頭脳明晰で、話していて実に気持ちいい方である。軍書について書くようになってから、手紙のやりとりがはじまり、国文研のプロジェクトで酒席を御一緒させて頂き、盛り上がった。

 一昨年、江戸文学をお送りした時、丁寧なご返事とともに、本書の書き出しをお送り頂いていた。心待ちにした本だけに、まだご本人に返事も書かないうちから、むさぼり読んで、ここに書くことになった。

 それだけ、読んで楽しく、かつ勉強になり、これからの自分の研究にも啓発されるところ、大であった。何より見通しのきいた本である。大坂の陣で豊臣方の武将として活躍した武将、真田幸村・後藤又兵衛・木村重成・塙団右衛門ら、人物について一章ずつを割き、銘々伝の形で、実録の変化・成長と、時代小説や講談との関係を語る。

 あとがきにある通り、江戸文学研究者以外にも射程距離を定めたその力技と、講談師との交流からも得られたこの世界の魅力を語る語り口への配慮が、何といっても本書の魅力だ。中国の英雄象の影響もきちんと指摘されている。

 今我々が望みうる軍談世界の一流の案内書と断言して差し支えない。
posted by 雑食系 at 00:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月23日

小谷保太郎「子規言行録」

 日本新聞社社員小谷保太郎が、子規の死直後に編纂した追悼文集である。最近、国文学研究資料館のリプリント日本近代文学シリーズの一冊として復刊をみた。明治三十五年十一月十九日に出されているから、子規が他界して二ケ月後の挙である。

 俳句・短歌の目覚しい改良運動で生前から、子規の名が確固たるものとなりつつあったことは、虚子も「子規居士と余」で回想・証言している。「日本」に追悼文は同紙二十日の訃報を受けて、連日掲載された。これらを核として、日本全国の新聞・雑誌に掲載された追悼文を収載したのである。
『子規随筆』が刊行され、人気を博したブームを当て込んだものでもあった。

 構成から見て、本書は日本新聞社員正岡子規の追悼文集というのが、その本質的性格であったと言える。子規の文学運動は、「日本」をその基盤として展開され、子規自身、陸羯南の公私にわたる引き立てと援助で、事業を成し、盛名を得たのであるから、これは当然のことである。しかし、それだけではない。

 本書の編集方針や全体的内容から確認できるのは、「立志伝」として性格である。陸羯南はその序で、子規の仕事が俳句のみならず、その人格において立派であったことを強調する。彼の成功の主たる原因も、学問技芸よりその人格にあったとする。さらに、その子規に普通の寿命があったならば、政界へも進出していたであろうと惜しんでもいる。

 古島一雄の緒言によれば、吉川弘文館社主の吉川半七は、子規を「先生」と呼んで、「明治立志編中の人で御座います」として出版を勧めた、という。国史国文の学者文人の書を多く刊行し、国学から近代国史学・国文学への橋渡し役の一端を担い、一代で吉川弘文館を大きく育てた吉川半七らしい言葉である。立身出世の明治の世の最初のベストセラーは、『西国立志編』であった。

 リプリント版の解題で、谷川恵一は、『子規随筆』における本書の出版予告が、当初「正岡子規君遺稿」とあったものが、刊行時の広告では、「故正岡子規先生」と冒頭掲げ、文中繰り返し「先生」と呼んでいることを指摘するが、それは本書の立志伝的性格が反映したものと見てよい。また、「先生」という呼称からは、子規の晩年の随筆が、青年の苦悩・煩悶への対処法の鑑として読まれることを要請されていたことも見て取れる。

 興味深いのは、本書では子規の文業として俳句の項目が立てられず、漢詩・和歌・新体詩が掲載されている点である。それだけ当時、俳句の文学としての「身分」は高くなかったことが窺い知れる。一方、新聞各社の追悼記事は多くその俳論に触れ、追善の俳句が詠まれているのも目を引く。子規の俳句革新が急速に地方に波及していること、より大衆的なレベルでは子規の最大の仕事は、やはり俳句であったことも、自ずから見えてくる。
posted by 雑食系 at 00:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月22日

ロナルド・トビ「「鎖国」という外交」

 外国人研究者の視点によって、はっとさせらることは多々ある。本書も、史料の細部を読み、検討していく「鎖国」型日本史研究・日本文学研究では、出てこない発想で勝負する切れ味の本だ。

 「鎖国」という言葉自体、当時来日したケンペルによって名付けられたもので、幕末日本の体制が動揺した際、日本語に翻訳された言葉である。本書はそこを出発点に、日本人はなぜ「鎖国」とは意識しなかったのか、という疑問から出発している。

 江戸時代を専門としない、30代、40代の若い歴史研究者でも、まだ「鎖国」という言葉が和製ではないことを知らない人が、けっこういるのに驚いた。タコツボ型の知識の固まる怖さを見せつけられた思いだった。

 そこで筆者の研究の出発点となる朝鮮通信使の問題が浮かび上がる。本書は、その善隣外交と国威発揚の両面を見出し、後者の認識が近代の大陸侵攻策につながってくることを論じている。また、表象からくる異国のイメージにも注目している点も、視点が「鎖国」型でない証拠だ。

 私は最近韓国の研究者と、討論する機会を得て、ようやくタコツボから少し脱した思いがある。本書はその時、私から紹介させてもらった。
posted by 雑食系 at 00:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。