2011年02月17日

堀江珠喜「男はなぜ悪女にひかれるのか」

 筆者は大阪府立大学教授。学部は神戸女学院。私の家庭教師の先生も、ここの先生だが、神戸の女子大でも名門中の名門。しかし、筆者はその中の異端と見受けられる。

 このテーマは、男の願望・妄想・錯覚を扱うから、冷ややかな視線が必要だ。その点、筆者にはロマンのかけらもない点、気持ちいいくらいだ。

 曰く、悪女は美人でなく、雰囲気美人。男による女へのイメージの押しつけ。男は弱い女を求めている。それを逆手に化ける女の処世術。高級娼婦。毒婦。妖婦。いやはや、恋愛のロマンが見事にひっくり返されて痛快、痛快。

 恋愛を論じるのには、ロマンに徹するか、その逆に徹底しなければいけません。我が近世文学の大家、日野龍夫先生曰く、「好色五人女」のお七の濡れ場を、「少年少女の恋の、情欲に身をまかることが可憐でありうる一瞬を愛情をこめて描き出して、近世小説史上最良の描写…」ロマンチストでゆくならこれくらいやらないと。恥ずかしがっていては始まりません。

 筆者も学部時代、独身のロマンチスト老先生を冷ややかに描写していて秀逸だ。教室での女子学生のジーンズ禁止を貫き、大阪大学でも同じことをやって問題になった、その英国人の先生は、学生時代の筆者を「君は黒いドレスを着て、紅いバラをくわえ、ソファに横たわったら」悪女そのものだ、とその後、美しき高級娼婦にして英文学史上最初の悪女ミルドウッドと名付けた、という。

 今なら完全なセクハラだが、こういうロマンチスト先生が居なければ、立派な女性研究者は生まれなかった。反面教師もまた名教師か。
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2011年02月16日

棚橋正博「江戸名所隅田川絵解き案内」

 東京も昨日は雪だった。しかし、本格的な春は近い。井伊直弼の墓のある豪徳寺を先月末に訪ねたが、梅も咲き出し、鶯もまだ笹鳴きだが、枝に群れていた。いよいよ「ブラ・タモリ」の季節である。

 下町歩きなら、最近では本書が出色の出来だ。棚橋先生は薀蓄の人である。江戸戯作・狂歌は、そのジャンルの性質からして、そういうタイプの研究者が集まってくるのだが、中でも折り紙付きの人である。

 江戸文学の豊富で的確、まだあまり手垢のついていない資料をふんだんに載せて、橋ごとに江戸当時の名所を再現し、由来を語る。解説もまた、かなりの知識に裏打ちされた味わい深いものだ。

 編集もいい。現代の写真や地図、江戸当時の切絵図も適宜挿入され、まさに紙上ブラタモリの観を呈する。さあ、今年はまだ行っていない「鐘ヶ淵」散歩を楽しみにしておこう。「真景累ケ淵」の一番怖い場面もこのあたりだ。

 帰りは、地元の人間が行く、浅草「焼きカツ・モモタロー」か、やはりオーソドックスに「長命寺桜餅」か。はたまた吉原土手跡の天丼も捨てがたい。

 
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2011年02月15日

松岡正剛「フラジャイル」

 「壊れもの注意!」という日本の貼り紙は、海外では「FRAGILE」と書かれる。文学や芸術の世界で、なぜこういう「弱さからの出発」に目をつけてこなかったのだろう。

 よほど我々は「弱さ」に後ろめたさを感じるらしい。政治・経済の世界ならともかく、文学が強がりを言うのはいいかげんやめにした方がいい。

 そんな当たり前のようで、そうでない、発想の逆転をこの本はもたらしてくれる。本書によれば、「弱さ」は「強さ」の欠如ではなく、それ自体特徴を持った劇的でピアニシモな現象ということになる。俳句などまさにそういう文芸だろう。本書でもよくこの文芸には言及がある。

 断片がかえって全体をおびやかし、完成しようとする意志や力に抵抗する、透明で微細な別の価値を持つ。松岡の最近の仕事は、通俗的か、荒すぎて、あまり感心しないが、本書は残る一冊だ。

 ちくま学芸文庫のラインナップは凄かった。今は売れなくて、この文庫すら一般向けにならざるを得ない現象を憂う。
posted by 雑食系 at 00:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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