2011年02月02日

雲英末雄「芭蕉の孤高 蕪村の自在」

 雲英先生が早稲田から、母校に非常勤で来られたのは1988年だったか。授業を受けることはかなわなかったが、それ以降、門外の人間にも関わらずかわいがってくださった。

 後に後輩の結婚式で、我々の学校の出身者をひっくるめて「なんだかくねくねしているんだよな」と、例の上品なべらんめいでおっしゃっていたのが忘れられない。温厚に見えて、バンカラの早稲田の遺風を受け継がれていた。谷脇先生とは学生時代酔って駅のホームでなぐり合っていたという「武勇伝」も、早稲田の方からうかがったことがある。

 学会の帰り、新幹線で義士弁当を売りに来て、その命名に憤慨されていた、三河人の先生の風姿も思い出される。先生の家も、もとをたどれば「吉良」だったのだろう。

 最初の本を出した時も、分野が違うにもかかわらずきちんと読んでくださったうえ、過分なお言葉を直接・間接に頂いた。先年、亡くなられた折、早稲田の方々数名からもそういうお話を伺い、胸がつまった。

 本書は、周辺の俳諧を現物から研究された蓄積があってなしえた、芭蕉論・蕪村論で一語一語に裏付けのある滋味深い本だ。晩年は、蕪村の遊び心に執心されたように思えるが、やはり先生には芭蕉への思いが強かったと思う。

 先生の書斎には、晩年の露伴の肖像が飾られていた。露伴と同じ寿命を、天が先生にもたらさなかったことを恨む思いが、本書を読むにつれつのる。

 ここ2年、子規・虚子論をやらされている私は、雲英先生が生きておられたら、どう言われただろうと考えることがある。「評論を書くのもいいが、子規・虚子だけを読まず、周辺の月並や、地方の俳壇制覇まで抑えろ、芭蕉や蕪村への評価も洗い直せ。」山のような資料と知識を得るため、茅ヶ崎のお宅にうかがうことになったかしら。

 先生のお声が、こわいような、なつかしいような。近代俳句の黎明期の話を、先生とできなかったことが悔やまれる。
posted by 雑食系 at 09:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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