2011年02月04日

竹内洋「丸山眞男の時代」

 中公新書は時々、新書のフレームを超えた情報量と深い議論の本がでる。本書もそうだが、社会学者の著作にそれが多い。大半は理論をこねくりまわす印象が強い彼らだが、時々文学研究・思想史研究も真っ青の内容がもたらされることがある。

 必要があって、戦後の江戸文学研究の思想性について考えた。昭和二けたに、日野龍夫と野口武彦という双璧がいるが、二人とも丸山を意識していた。当然である。私も修論で、文学作品に見える儒教と神道を扱ったので、苦労しながら「日本政治思想史研究」を読んだ。

 江戸の思想のドラマをヘーゲルに当てはめる部分は、ごめんなさいという思いだったが、日本における政治学の濫觴としての徂徠や、その読み替えたる宣長という位置づけは、今も大きな影響力を持つ。

 その「日本政治思想史研究」の跋文には、出征に向かう自分を送る妻の姿に言及する。彼は戦中派左派の典型だったのだが、本書は昭和10年代に吹き荒れた右翼知識人の魔女狩りのトラウマが、丸山のその後を決定づけた点を詳細に報告して読ませる。

 右翼言論人の代表蓑田胸喜の弟子が、斯道文庫の書誌学者阿部隆一である。だから阿部は、山鹿文庫の整理を行っていたのだ。存在根拠と思想という点で、彼らからすれば、我々ポストモダンは、ファッションだなあとつくづく思う。

 戦後の丸山が、アメリカ日本研究を意識したことも紹介されている。60年安保に敗れて、金でアメリカに買われ、ハーバードに行くが、そこで右派論客となる高坂正尭と激論を戦わせたことも紹介して欲しかった。ここから日本のエスタブリッシュメントは、国際関係論を学び、アメリカで人脈を築いてゆく時代になるのだから。

 今でも東大駒場で一番優秀な連中は、国際関係論を専攻する。「思想」より「パワーポリティクス」の時代になり、丸山の学問はガラパゴス化してゆく。その部分が書かれないのが、日本の文学部系大学人の欠落した部分だろう。惜しむべし。「思想」を取り扱う以上、今の世の中を動かす「言葉」と「原理」を意識しないものは、ガラパゴスなのだ。自戒したい。
posted by 雑食系 at 07:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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