2011年03月05日

池上英子「名誉と順応」

 400頁を超す研究書にしては、版を重ねた本である。筆者は日本では国文学を学んだが、アメリカに渡ってからは、ハーバードで歴史社会学を学んだ。

 サムライ精神の問題は、アメリカ日本研究では、ベラー以来重要なテーマである。つまり近代化を独自に成し遂げた日本の成功の原因に、サムライ精神を考えるストーリーである。これは、いわゆる司馬遼太郎の史観にも通じる。

 池上は、これを原題でThe Taming of the Samurai、即ち、サムライ精神の飼いならしと見て、論じている。要旨はこれでいいとして、個々の記述にはアメリカと日本のこの問題に対する姿勢の違いが見て取れて面白い。

 日本では、史料の批判と解釈、周辺の事情とを合わせた「考証」が中心となるが、アメリカでは、一つの理念や理想形から見て、対象となる作品の思想がどまでそれに近いか、あるいは近くないかを問題として、「評価」を行うことに関心が高い。

 日本の研究にもそういう姿勢は必要だろうが、評価軸の定まらない現代日本社会では「評価」は難しい。池上もアメリカで研究してこの視点を得た。これは日本の研究者には重い課題なのだ。古いことをやる研究者も、現代の多様な価値のどこに軸足を置くのか、これに自覚的でなければならない。
posted by 雑食系 at 00:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月04日

山本常朝「葉隠」

 色々な必要があって、久しぶりに読んでいる。何分大部の書物なので骨が折れるし、世間一般のイメージと違って、多様な内容と問題を含む書物なので、こちらの周辺知識が広くないと、扱いきれない大きな対象だ。

 ひとつは諸本・成立の問題。よく引かれる武士道教訓は巻二までで、残りの九巻は、鍋島武訓聞書なのだが、そこには後世のものが混じっているのでは、という問題がある。引用された軍書を手掛かりにそこを探ってみることは大切だ。

 次に本書全体の評価だ。武士道教訓の分量が少ないなか、この教訓を分量の多い鍋島武訓聞書のなかでどう位置づけるか。むしろぞんざいに扱われてきた内容を、当時の軍学の文脈の中で整理することで、武士道教訓の解釈にも新たな光が当てられる可能性がある。

 3つ目に、常朝は、和歌を嗜んだ。忍ぶ恋の対象である主君光茂が和歌に執心したせいでもある。武士道を「忍ぶ恋」に例えて説明した意味、葉隠の書名が和歌からきているのではといった問題、聞書をした田代陣基との和歌・俳諧の交流の葉隠への影響など、これも重要な課題だ。

 4つ目に、佐賀藩内の他の聞書や、幕末の葉隠研究の様相がある。葉隠が鍋島論語となり、それを資料を使って注釈しようという動きなど、本書の古典化の秘密がそこにある。いやあ、これは1冊の本になりますなあ。
posted by 雑食系 at 08:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月03日

小島康敬・スティール「鏡の中の日本と韓国」

 今韓国の研究者とも共著を出すべく準備しているが、一つのモデルになったのがこの本である。国際基督教大学でのシンポジウムがもとになっているから、多彩な顔ぶれから成っているが、構成が参考になった。

 1日本から見た韓国のイメージ、2韓国から見た日本のイメージ 3イメージを越えての三部構成となっている。執筆者は8名で、各章に分かれ、独自の視点から論じている。

 相互イメージの違いを提出しつつ、それを乗り越えてゆく可能性を提示しようというストーリーが、この構成からは感じられた。中で一番興味深かったのは小島の江戸時代における朝鮮像の推移で、知識人の意識の変遷が要領よくまとまっていて、パースペクティブを得やすかった。

 さて、こちらが出す本は日韓二人の研究者が統一したテーマで5本ずつ論文を書くとともに、最後に対談をもってきて、パースペクティブと今後の研究の可能性を主題としておいた。さて、この構成が功を奏すか否か。
posted by 雑食系 at 00:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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