2011年03月08日

松井豊「恋ごころの科学」

 心理学ほど見境のない学問はない、と友人の心理学者は語る。さすがに著者は冒険をしている。真面目な教育心理学者は、松井さんもこんな研究をやるなんて、と吐き捨てていた。

 本当にそうだろうか。確かに学問としては、色眼鏡で見られやすいが、人間を研究する以上、恋愛は避けて通れない。文学など恋愛がなかったら、ほとんど気の抜けたビールのようなものだ。

 松井氏を知る友人によると、著者は本当にバランスのいい人らしい。あとがきで、正直に、自分はもてなくて、恋愛にコンプレックスを持っていると吐露している。恋愛を馬鹿にしている人間、特に男に多いが、それだけ恋愛はコンプレックスを生みやすい。そして、そう、心理学、いや人文科学は自分のコンプレックスを研究するのだ。

 もちろん、人文科学研究者全般を指す場合のコンプレックスとは、劣等感のみならず、「ひっかかり」とでも訳した方がいい。さて、本書の読みどころは、恋愛曲線の男女差である。恋愛コミットメント=のめり込み度が、男女では異なるというデータが出ている。

 男性はおおむね前半、曲線が高く、後半低くなる。女性はその逆。二人の恋人関係に社会的認知が加わるほど、恋愛後期のコミットメントに男女差が生まれる。

 そう、にえきらない男性がいても、男性に告白させねばならない。だから、プロポーズは男がやるべきという儀礼が用意されていたのだ。自分からコクってはならない。お母さんが、そっと娘に教える。彼はまだ肝心のことを言っていない。でも、言わせるようにしむけるのよ、と。

 もちろん、最近の男の草食化と雇用状況の悪さは、こういう儀礼を成り立たなくさせている。女はクーガー(ピューマと同意。草食動物をすばやく捕食する意)になる例も多い。一番問題なのは、自分のわけのわからない論理を女に押し付ける男だ。
 
 私の父は典型的なこのタイプで、母は一生苦労したから、こういう男にだけはなるまい、というのが私のコンプレックスとなった。よって、友人からも女に甘い、と言われる人格が生まれ、恋愛小説もコミュニケーションの角度から分析してしまう。昨日の荷風など、洗練されたコミュニケーションの極致だと思う。
posted by 雑食系 at 00:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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