2011年03月19日

長谷川櫂「子規の宇宙」

 はからずも、子規のことなどに首を突っ込む羽目になり、気が付いたら多くの俳人に知己を得たばかりか、俳句団体の役員まで仰せつかるに至る。わずかこの2年あまりのことである。

 先日、虚子を引いて勇ましい文章を書いてしまった手前、一昨日都心であった句会は敢行した。渋谷駅など、大停電かもという政府の発表ですさまじい混雑だったが、なんのその。句会には出されなかったが、地震当日、巨大ビルのガラスがうなっているのを一人中庭で目にして、

  こんなときも一人

と詠んだ、今売り出しの若手女流俳人の話があり、大いにウケた。才能には恵まれていても、仕事運や恋愛運はなさそうな感じが出ていて、ご本人には申し訳ないが、いい味出してます。無季・自由律でも、自分をつきはなして他人の目で見ている点、俳句の滑稽ここにあり。

 さて、第二の処女作といっていい、私の子規の評論を、櫂さんは、直接間接に大変褒めてくださっていた。だから、本書のあとがきに、子規は日本の古典を踏まえて、俳句を改良したというそのスタンスは、全く私と同じものだ。ああ、同じことを考えている人が、その道の大先輩にいるというのは心強い。

 櫂さんの子規論の特色は、絶望の淵にあって、来世や現実社会に救済を求めるのでなく、自己の周辺の「楽しみ」に救われて子規が生きたこと、俳句や写生文・随筆はそのためにあり、その文業によって自分を他者として見れられることが救いであった、とするあたりにある。

 晩年、神経まで結核菌に犯され、寝たきりのなか絶叫、最後はモルヒネが効かなくなっても、「平気で死ぬのが悟りではく、平気で生きることが悟りなのだと知った」という子規の言葉が、弟子の虚子にも受け継がれてゆく。地震のニュースを見ていると、「平気で生きる」ための「楽しみ」を少しでも多くの人に知ってもらいたいと思う。
 
posted by 雑食系 at 00:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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