2011年04月27日

楠元六男「芭蕉と門人たち」

 芭蕉と門下の俳人の伝記と作品の入門書といったら、まずこの本を挙げる。蕉門俳人伝なら他にもあるが、芭蕉との関係に焦点を当てたものは少ない。

 蕉門の転換を切り口に、芭蕉自身の変化を見る視点の据え方が、楠元さんらしい着実な実証を以て語る方法にぴったりくる。

 もうひとつは連句の付け筋にきちんと触れて解説してくれている点もありがたい、的確な例を挙げ、平易に語ることが難しい対象だけに、入門書としての価値が高い。

 ただし、本書の限界をひとつだけ、どうしても「去来抄」の記述によららければならないケース、去来と凡兆の俳風の比較など、「去来抄」自身の記述の検討を加えなければ、公平な評価は難しい問題が残るのである。

 「去来抄」というテキストは、芭蕉をキリストや釈迦のようにその言行録を記して、カリスマ化すると同時に、それを一番理解していたのが他ならぬ去来自身であったように読めるよう書かれている。このことを一度疑ってかからないと新しい研究は生まれてこないのだろうが、資料の制約が壁となって立ちはだかる。

 「去来抄」は虚子が珍重したため、近代俳人にも大きな影響を与えている。問題は大変本質的かつ難物であるが、大きな魅力もある。
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2011年04月25日

戸部良一「逆説の軍隊」

 中央公論新社から出た、シリーズ日本の近代の一冊である。戦前の帝国軍隊の興亡を「逆説」で集約した。司馬遼太郎ではないが、あれだけ国家の近代化の牽引車であった旧軍が、太平洋戦争時には、非合理の極みの戦争を行ったのはなぜだろう、という問いは、大きな課題だ。

 どうして、そんなに急激な変化を遂げてしまったのか。「坂の上の雲」の後、司馬遼太郎がノモンハンを小説化したかったのはよくわかる。彼は、満州・本土決戦の戦車隊にいた。

 さて、本書の答えはというと、これは日本の旧軍だけにあてはまるローカルな問題ではないのだ、というものだ。戸部氏によれば、軍隊は本質的に「逆説」を抱えている組織なのだ。

 守るべき命を犠牲にして戦う行為そのもの、つまり戦争は非合理的な行為だ。しかし、軍隊という組織は、その非合理な行為を、いかに合理的に集団で行うかを要求される。軍隊という組織そのものが持つ本質的な矛盾を、「逆説」で集約した筆者の目は、一流の歴史家の目だ。

 いつかは失われる命を、必死で守ろうとする人間存在の「逆説」が軍隊には集約されている。軍事の研究をする者なら、そこに思いを致さないで、ただ賛成・反対を唱えても、何の建設的な議論にもならない。
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2011年04月21日

鷹羽狩行「俳句の秘法」

 呼び名は、人間関係を象徴する。上司を「課長」と呼ぶのはいいが、恋人を「課長」と呼ぶ関係はたいてい不倫だろう。お互い「先生」を付けて呼ぶことの多い大学教師同士なのに、「学部長」とか呼ぶ先生は、かなり政治的な「演技」をしている、つまりゴマをすっている人だ。
 
 これを俳句に応用してみよう。俳号というのは、まさに俳句の世界における役割語だ。本名も一種の俳号だ。師が「清崎敏郎」と本名でいるのに、弟子の方々が本名以外を使うことは考えにくかったことだろう。「富安風生」の弟子たちは、本名以外の俳号を多く使っているはずだが、では清崎敏郎氏はなぜ本名を俳号にしたのか、これは興味深いところだ。
 
 さらにその師の高浜虚子は、もちろん本名ではない。「清」が本名だ。子規からこの号を得た。だから、虚子の弟子には、先の富安風生のほか、原石鼎・前田普羅・水原秋桜子・高野素十・中村草田男など本名でない俳号が多いと見受けられる。また、明治という時代は、俳人が本名で通すという文化はなかった。「子規」も本名ではない。俳人に限らない。夏目漱石・森鷗外・島崎藤村・樋口一葉・永井荷風。明治の文壇では、いまだ漢詩・漢文の教養が生きていたから、こういうペンネームでないと恰好がつかなかったのだろう。

 高浜年尾は本名だが、やはり子規の命名だ。正確には、「勝尾」と「年尾」の二つを子規から示され、虚子が「年尾」を選んだのだが、虚子という人は端倪すべからざる人だ。まさか「ホトトギス」が、明治三十三年の時点で、あのような大成功を収めるとは予想していなかったろうが、我が子に俳句をやる時、子規の命名は大きな箔がつく、ということくらいは考えただろう。子規も、生来の親分肌だったから、虚子から名付け親を頼まれて、機嫌は良かったはずだ。

 また、大正期の文学者は、実名風が流行でもあった。芥川龍之介・菊池寛・高村光太郎・萩原朔太郎。本名ではないが、もはや漢詩・漢文の由来をふまえた「号」の感覚は古かったのだ。新聞から漢詩の投稿欄が消えるのが、大正初年である。号には時代の感覚も反映している。

 鷹羽狩行氏の『俳句の秘法』(角川選書)では、自分の俳号が、結婚後、師山口誓子から得たものであることを明かしながら、本名の高橋行雄のままだったら、きっと今のようにはならなかった、名前の導く力は大きいと吐露されている。確かにこんな大層な俳号を名乗って、ヘボな句は出せまい。
逆に、本名を使いながら俳句の実力でその名前が輝いてくる例もあろう。

 また、名前によって、作品が引き立つケース、逆のケースもある。爪先に春風を感じるなどという女性的な句を作って、名乗ったら、顔を見ながら大笑いされたこともある。俳号も作品の一部なのだ。「芭蕉」が庵の名であることを想起すれば、なぜ『奥の細道』の冒頭に「家」の語が頻出するのか見えてくる。
posted by 雑食系 at 08:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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