2011年04月17日

「西鶴が語る江戸のダークサイド」

 西鶴研究会の編になる「西鶴が語る」シリーズの三作目。初作は「ミステリー」、次作は「ラブストーリー」。書物の企画としても、話の選択からも、好みを言えば、今回が最も面白い。

 西鶴には、社会の裏面や人生の暗部を抉る奇談が多い。西鶴を読んだ人ならそういう面には気づいているのだが、「暗黒奇談集」としてのオムニバスは、ありそうでなかった企画だ。

 かといって、いきなり「ダークサイド」では、色物扱いされたり、マニア向けに誤解されたりする。やはり、オーソドックスな括りから入って、ここへたどり着くべきなのだろう。

 「ダークサイド」論としては、染谷智幸氏の「あとがき」が秀逸。ブライトサイドとダークサイドは、コインの裏表だ。長い内乱の続いた中世の、カオスと自由がなくなり、平和と安定が当たり前となる江戸時代前期こそ、「ダークサイド」の対照が生まれる汽水域だったのだ。

 京都の北野に出現する「幼女誘拐」の解釈が、郊外と都心では異なる話が冒頭に載せられている。北野で育った私には、その境界にあたる北野のうらぶれた怪しさが残る町の風景を思い出させた話だった。神社があり、森があり、市が立ち、講釈場があった。人は集まるが、変な人間も出没そそうなムードは、子供心にも目に焼き付いている。

 芝居もあった名残で、大正になると、歌舞伎がダメになって、大道具・小道具が紙くず屋に行く。それを映画に再利用したのが、日本のハリウッド京都の誇る映画美術産業、高津商会である。生家はその目の前だった。
posted by 雑食系 at 22:05| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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