2011年05月30日

山本幸司「<悪口>という文化」

 <悪口>など言わない方がいいに決まっている。言葉の暴力は、他者のみならず、自己をも傷つけるからである。しかし、<悪口>はいっこうになくならない。ハラスメントや暴力事件、風評被害にまで及ぶ悪しき面を持っていながら、なぜなくならないのか?

 こういうユニークな問いを出発点にする本書の著者は、中法制史が専門だが、ジャンルを超えて興味ぶかい事例を紹介してくれている。古今東西、<悪口>から始まった戦争・喧嘩を紹介するかと思えば、日本の<悪口>祭りの事例から、スキャンダルのばらまきによるフラストレーションの解消といった機能にも着目する。

 要は<悪口>の必要悪をある程度認め、これを社会秩序の維持のための「智恵」として管理する法制や習俗が本書のテーマだった。

 <悪口>に限らず、<暴力>はなくならない。残念ながら、人間には<攻撃>本能がある。ならば、それをいかに飼い慣らすか、これは<悪口>に限らず、戦争や暴力に対する大人の見方を我々に教えてくれる。

 昨日私は幾つ<悪口>を言っただろうか?
posted by 雑食系 at 08:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月26日

金澤裕之・矢島正浩「近世語研究のパースペクテブ」

 自分もその一部を書いた本を、この場で紹介するのは禁じ手のような気もするが、自分の担当部分は措いて、面白い本が出来たので、どうかお許し願いたい。

 私を除いて、7人の執筆者は、日本語学、それも主に江戸時代の日本語を研究している方々ではある。しかし、本書に収められた各編は、江戸時代語の研究の枠に収まりきらない、自由な発想や、他分野との連携を模索したものとなっており、いずれも久しぶりに、スリリングな知的興奮を感じることができた。

 正直、こういう論文や授業で出会っていたら、近世文学ではなく近世語研究に惹かれていったかも知れない。私が大学時代学んだ国語学者は、構造主義右派の森岡健二先生である。徹底して形式から言語の法則を捉えようとするその姿勢は、ニュートン物理学の授業のようだった。先生ご自身、研究のこういう前提を最初に話され、「なんて国語学は無味乾燥な学問だと思う人も多いでしょうね」とおっしゃっていたことが今も記憶の隅にある。

 本書の面白さは、まず言葉は使用者によってダイナミックに動くものだ、という前提から出発している点にある。そこで、文法史と言語生活という本書の二大視点が設定される。前者においては、金澤裕之氏の論が、形容詞の活用と同様の「なかった」「なく中止形」が江戸に生じる問題を、現代へと続く授受表現史の体系的流れから捉えうることを提示する。後者では、福島直恭氏が、「ナカッタ」の成立の後れの解明が、国家語としての標準語史研究の幻想から離れ、歴史的研究として前提を変えることで見えてくるとする。言語研究の前提を疑いながらすすめるこの方法こそが、スリリングなのだ。

 その他、江戸語と上方語の交流、方言研究や辞書研究、表記の問題など、文学研究・文体研究にも刺激を受ける内容が目白押しだ。近世文学の研究者にもこういう関心が拡がってほしいし、そうなる可能性をも秘めた一書だ。こういう「事件」の現場に立ち会えたことに正直感謝している。
posted by 雑食系 at 11:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月16日

桂島宣弘「思想史の十九世紀」

 副題は「「他者」としての徳川日本」。1999年刊行。コンセプトは、「近代の眼差しは、歴史の何を語り何を隠蔽してきたのか?」という帯文に集約される。出発点は、幕末・明治の「民衆」新宗教が、近代的な「民衆」(大衆)の概念ではくくれないことによる、と序文で言う。

 そこから視野は拡がり、平田派国学者の出版・読書の在り方が、当時の国学者一般とも、近代のそれとも異なる、「奇談」「実事」の話をも持ち寄ったり、占いをおこなったりするサークルあった面に注目したり、徂徠学派の「華夷」観念の解体と国学による「自己」像の生成のドラマを追ったりする。

 本書の限界は、二つ。資料収集がピンポイント過ぎて、丸山眞男・安丸良夫・子安宣邦らの敷いた思想史のストーリーに載せるような恣意性が見受けられること、今一つは、9.11、3.11を経た今日の地平から見て、こうした従来の歴史学のストーリーを解体して見せるやりかたは、古びてみえることである。

 グローバリゼーションによる「日本」そのものの矮小化を知っている我々には暢気な議論にも見えるのだ。東アジアの研究との対話や、思想史の背後にあるメディア・社会の変革への視点が足りないため、結論部が安っぽい自作自演の観念劇に見えてしまうのは残念だ。

 十九世紀の思想史に関して、何が問題として浮かんでいるのか、民衆宗教やアジア主義者の経歴については面白い報告もあり、この点を掘り下げた方が、本書が10年余りで古く感じられなくなっただろうにと悔やまれる。
posted by 雑食系 at 11:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。