2011年05月13日

和辻哲郎「日本倫理思想史」

 武士道を学問として考えるようになったのは、本書と和辻の弟子たち東京大学倫理学研究室の学統の存在抜きにありえなかった。しかし、文学研究者から見て大変不満な点も多い。

 江戸時代の武士道書は「倫理」の書物と限定してしまったら、見失う部分があまりにも大きい。目の前にあるテクスト全体を見ようとせず、「倫理思想史」に都合のいい部分だけを拾ってくるやり方は、和辻のように存在が大きければ、それも学問の開拓としては意味があるが、その轍に安住してしまったら、とたんにその「安全」「確実」な学問は、退廃をはらむ危険性を持つ。

 さすがに、最近この学統の内側から反省をふまえた研究も出てきているが、まだやり足りない部分は多い。手探りではあるが、「軍書」というキーワードは、この問題に文学研究から切り込む大事な視覚だと考える。

 岩波文庫で本書は再刊されつつある。格好のターゲットであることはいうまでもない。全巻の刊行+解説が待ち遠しい。
posted by 雑食系 at 10:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月04日

田中康二ほか「雨月物語」

 江戸文学で、最も読まれている作品が、「おくのほそ道」であることは疑いようがない。次は「雨月物語」ではないか。数あるテキストの中で、自分がかかわったものを除けば、本書は最近の研究と議論が「読みの手引き」の中で紹介され、有益だ。

 名作にはいくら注や紹介書があっても構わない。それだけ奥行のある作品であり、様々な階層に、訴える作品だということだ。私より若い世代の注だということも、いろいろなことを考えさせられた。私の説も、引用され、批判されているケースもある。

 だからといって、頭に血が上ったりしない。批判の当否は措いて、読みについて挑戦を受けているというのは、悪い気分ではない。気持ちのいい試合をやった気分に近い。

 さあ、私も若い世代を巻き込んで、このシリーズで試合を挑もう。

 
posted by 雑食系 at 11:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月02日

谷川 渥「廃墟の美学」

 廃墟ブームだそうである。専門のツアーまである、という。災禍の結果である廃墟に、なぜ美がかんじられるのか。なぜ、人は廃墟にひきつけられるのか。

 本書は、廃墟をめぐる言説と表象の経緯から、その秘密を解き明かす。筆者は西洋美学の専攻。したがって、ヨーロッパの絵画・文学が考察の対象となる。筆者の立場からすれば「廃墟」の美学には、ヨーロッパ文化独自の表象の系譜があり、東洋・日本とは異なるという立場だ。

 確かに、建築そのものに対する概念が、欧米に比べて建て替えを前提とする日本では、その表象は異なってくる。また、自然観の違いもあって、日本の廃墟は、「夏草や兵ものどが夢のあと」であったり、「浅茅が宿」であったりする。日本の場合、自然とマッチした廃墟の表象が前近代までの伝統だったのだ。

 日本もようやく欧米型建築観が内面化し、本書のような、巻末に大量の日本語文献を収集できるほどの関心が堆積した。さて、今回東北の津波のあとをニュースで見るたび、あの光景は、「壊滅」の景である。廃墟は東西を問わず、「死」の寓意を伴う。しかし、そこに泥土に水仙や桜を発見して希望を得ようとする心性は、やはり日本独自のものなのかもしれない、と思う。
posted by 雑食系 at 08:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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