2012年01月02日

鈴木健一「江戸古典学の論」

昨年末は、取り上げるべき大著を幾冊も頂いた。

本書も500頁を超える力作で、転居のため雑事にまぎれ、
年が明けて、ようやく第一部を読了。

広義の注釈の本質こそが、古典を古典として享受してきた
江戸文学の本質でもあり、それはかなりの部分で今日の
我々の古典への対し方ともつながるという長年の鈴木さんの
研究をふまえた貴重な視点が冒頭提出されている。

続く、近世に歌の模範となった実隆の保守性と革新性の位置と評価、
江戸文化の枠組み豪胆に創った寛永と
それを洗練していった寛文という時代の位置づけ等々、
いずれも見通しのよい論で、
軍記・軍書の中世から近世に関心のある私にも大変示唆的なものだった。

また、各論はいつもながら守備範囲が広く、
有益なデータに富む論のようで、今後さらに読み進めていきたいと思っている。

1点気になったのは「年内立春歌の転生」。
最後に虚子の「去年今年」句を引かれているが、
論旨には基本的に賛成。
晩年の虚子のこの句は、全くの主観句で、いわゆる子規風ではない。
古典の世界にあった移りゆく時の感覚を踏まえてはいるだろう。

ただし、「転生」の内実には
旧暦から新暦への季感の変化と、
旧暦(明治)→新暦(大正)→旧暦的季感の復活(昭和初年)
という虚子の歳時記戦略の変遷がからんでいる。

虚子の句に古今集以来の年内立春歌のような
「春を待ち、言祝ぐ」感覚は見られない。

ともあれ、こういう近代俳句にまで示唆を与えてくれる鈴木さんの
お仕事は大きな恩恵を諸方面にあたえてくれる「泉」なのである。

なお、昨年末には同じ鈴木さんの編で
「鳥獣虫魚の文学史」(三弥井書店)の虫の巻が刊行されて、
私も「蛇性の婬」で書いた。
この4冊のシリーズも古典研究者は無論、
俳人にも実に有益なものであることを
申し添えておきたい。
posted by 雑食系 at 15:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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