2012年03月05日

新視点による西鶴への誘い

 頂いた本の書評、第二弾は、一線の西鶴研究者による、「西鶴をどう面白く読めるか」の試みである。その視点とは「出自と俳諧」「遊廓」「武家批判」「苦境」「文体」「引用」「享受」。ここからどういう新しい西鶴像が生まれ得るのか、という関心からコメントしてみたい。

 「出自と俳諧」は、谷脇理史氏の遺稿。丁寧にこれまでの西鶴の俳諧研究の成果を検討しながら、谷脇氏が追究してきた風刺作家西鶴の像へと導かれる。ただし、この風刺は江戸の社会の根底を揺るがすような視点を持っていたかと言えば、どうもそうではない。「からかい」のレベルなのである。

 それに比すれば、杉本好伸氏の「武家批判」は、やや一昔前の野間光辰による武家社会への根底からの疑念や憤懣を出発点としている点でやや相貌を異にする印象。もちろん武家物以外にも武家批判は見えるのだろうが、問題はその質であろう。

 中嶋隆氏の「文体」や篠原進氏の「引用」は、煮詰まった感のある西鶴研究を読み直す方法的実践として興味深い。中嶋氏は、作品の中から論者に都合のよい西鶴像を求めてきたこれまでの読みを徹底的にそぎ落として、ある意味禁欲的だが、最後に晩年の作品の会話の精細に西鶴の達成を見る。

 篠原氏は、相変わらずの華やかな饒舌体を駆使しながら、典拠をむき出しで使うことのない西鶴の「引用」の質を通して、上質のサスペンスを作り上げている様を浮かび上がらせる。

 ここからは、西鶴という作家をあるテーマで括ることに疑問視する立場が確認できる。作家には、あるこだわりを追究するタイプもいれば、多様な言語的冒険の実践と、社会や人間への視座とを売りにするタイプもいる。こういう視座には大賛成だ。染谷氏の「遊廓」も結論はその方向である。

 むしろ、武家物を武家批判の括りから解き放ってみることが、残された重要な問題なのかもしれない、と西鶴研究への誘惑を伴う意味で、刺激的で贅沢な多面体の一書であった。
posted by 雑食系 at 20:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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