2013年03月13日

戦争の記憶を更新する戦争

 日置貴之君は、ご本人と話すと大変快活、かつ茶目っ気があり、切れのいい話っぷりの人なのだが、論文となると、非常に慎重な物言いで、方法もオーソドックス。著者を知ってから論文を読むと、堅実なのだが何か食い足りないところがあったのが正直なところだった。

 しかし、今回「国語国文」2月号に載った論文「「会津産明治組重」考―其水の日清戦争劇にみる黙阿弥の影響―」は出色だ。数ある日清戦争の戦勝を当て込んだ歌舞伎の中で、表題作の過半が会津戦争を描くのは何故かを切れ味鋭く解き明かしている。

 まずは、新聞に目配りしながら、清国人の帰国や観音崎へのスパイ出没、はたまた軍夫の活躍など、本作が当代のニュースをうまく取り込んでいることを明らかにする。

 次に、黙阿弥の過去と現在を対比しつつ「戦後」を描く手法に学んで、逆賊の汚名を着せられた会津が、日清戦争に参加することで屈辱を晴らす物語を、其水が仕組んだことを明らかにした点が手柄である。新聞にも会津の復権運動があったことを紹介することで前段の内容と有機的に連関する。

 さらに感心したのは、そういう戊辰「戦後」はもはや観客の現実意識とは対応しなくなっていた事実を鋭く指摘する点である。黙阿弥的「戦後」意識が、初の対外的近代戦争によって通じなくなってしまったことが、本作への当時の低い評価に決定的だったというのである。

 従来の歌舞伎研究では、歌舞伎が古典化して近代の風俗から乖離したことに、不評の原因を求めてきた。しかし、日置君の結論は極めて政治心理学的な視点から、作品の中の戦後意識と観客の戦中意識のズレを指摘する。ここが面白い。これまで慎重に黙阿弥の上野戦争劇を論じてきたこれまでの論考の厚みが、この最後の結論の「飛躍」を支えているから尚更だ。一皮剥けた感がある。

 感想を一つ。子規は日清戦争に従軍する際、旧松山藩拝領の刀を以って記念写真を撮った。会津ほどではないが、松山も土佐に占領された「戦後」を体験している。こういう観客なら其水の芝居も共感を寄せたのではないか?あるいはそういうことが其水の意図ではなかったのか。是非本人からお話を聞いてみたいところである。

 ともあれ、「戦後」意識というキー・ワードを得た筆者には、戦争に取材した演劇へのより一層の取り組みを期待したくなってきたのだった。
posted by 雑食系 at 20:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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