2012年05月06日

武家と和歌

武家にとって、和歌とはどういう位置を占めたのか。既に小川剛生氏には中世の立場から、発言があるが、戦国と下剋上を経て、武家が真の意味で実権を握った近世においては、どうだったのか。

加藤弓枝氏の「コレクション日本歌人選 細川幽斎」を読んで、改めてそんな疑問が湧いてきた。氏は、有名な関ケ原の戦いにおける、幽斎の死の覚悟と古今伝授の問題を取り上げ、結局幽斎の本質は武家であり、和歌はその価値を上回るものではなかったことを率直に認めている。

これはその後の江戸の武家歌人についても、忘れてはならない視点であろう。江戸の和歌研究は進んできたが、武家の歌についてはまだまだ等閑視されている。それは、このブログで取り上げた、大戦前後の勤皇和歌の問題が尾を引いているのであろう。

また、所詮、武家にとって和歌は添え物との意識が、研究者にも通底してあるのだろう。しかし、武家の和歌は近世にも連綿と詠まれ、それは多様な展開を見せている。そのあり方は、小川氏が提示した和歌の文化力という問題だけで簡単に割り切ることもできないし、そこに武家の和歌の近世的展開という新しい視点も用意できよう。

近世和歌史を構想する人にとって、武家の一章ももしないのだとしたら、それはかなり偏った和歌史になろう。堂上派・国学といた表現レベルの分類もいいが、武家にとって和歌とは何だったのかという問いの出発点が、幽斎にはあるのだ。そんなわけで、様式化した中、実景っぽい視点を持った以下の歌に心ひかれた。

  夕されば雪かとぞみる卯の花の垣ほの竹の枝もたわわに

加藤氏曰く、「日が暮れて薄暗くなったために、垣根に咲いている卯の花が錯覚ではなく、本当に雪のように見えるという、写実的で実感のともなった歌に仕立て替えられている」という。こういう歌の発想の先には、俳諧・俳句の写実があるような気がするのだが、それは僻目というものだろうか?
posted by 雑食系 at 21:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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