2012年01月05日

岸本尚毅「生き方としての俳句」

 年末頂いた本のシリーズ、第2弾。サブタイトルは「句集観賞入門」。
岸本氏は、有馬朗人主宰の「天為」所属。私と同じ51歳。平均70歳超えの俳句界では
若手に属するが、俳歴は長く、この世代の俳壇の先頭に立ち、今俳句の鑑賞・評論を
やらせたら、屈指の書き手として注目されている。

 その特徴は、細やかな感受性と、無造作な表現の背後をも読み取る洞察力、それに俳人・俳壇の
背景にも通じている点であろう。そういう著者にとって、虚子自身ではなく、虚子に育てられた
「ホトトギス」の有力俳人の句集を観賞する本書の企画は、誠に人を得たものと言えよう。

 第一部の「句集とは何か」は、見通しのきいた論にて、大変汎用性のある句集本質論となっている。題名・序・選句・配列。そして、虚子を通して、俳句を狂気=非日常を飼い慣らす日常への
回帰として捉え、客観写生こそ、その方法であったとする俳句本質論が、句集という作家のメディア
を写しだす鏡となる。

 以下、個々の作家を取り上げる第二部では、才能に恵まれない故に日常の世界にこだわった西山泊雲・湯浅桃邑、虚子ゆずりの大きな詠み振りと、無常感に貫かれた閨秀星野立子・高木晴子、虚子を通して自己の才能と位置を知った上野泰・池内たけし・高浜年尾らその家族・係累の章が特に印象に残った。

 本書は、虚子という鏡によって、選句を通して見出されていった作家たちの、詠み振りと個性を明らかにすることで、近代俳句の主流であった「ホトトギス」の客観写生が、俳諧から受け継いだ無常と向きあう精神と、それを近代という時代に合わせて日常へと焦点を当て、作品化していった様を、細部の読みをとおして俯瞰したもので、一般書ながら、近代俳句本質論となっている。

 近年旺盛に展開されている、岸本氏の評論活動には今後も目を離せない。
posted by 雑食系 at 09:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月02日

鈴木健一「江戸古典学の論」

昨年末は、取り上げるべき大著を幾冊も頂いた。

本書も500頁を超える力作で、転居のため雑事にまぎれ、
年が明けて、ようやく第一部を読了。

広義の注釈の本質こそが、古典を古典として享受してきた
江戸文学の本質でもあり、それはかなりの部分で今日の
我々の古典への対し方ともつながるという長年の鈴木さんの
研究をふまえた貴重な視点が冒頭提出されている。

続く、近世に歌の模範となった実隆の保守性と革新性の位置と評価、
江戸文化の枠組み豪胆に創った寛永と
それを洗練していった寛文という時代の位置づけ等々、
いずれも見通しのよい論で、
軍記・軍書の中世から近世に関心のある私にも大変示唆的なものだった。

また、各論はいつもながら守備範囲が広く、
有益なデータに富む論のようで、今後さらに読み進めていきたいと思っている。

1点気になったのは「年内立春歌の転生」。
最後に虚子の「去年今年」句を引かれているが、
論旨には基本的に賛成。
晩年の虚子のこの句は、全くの主観句で、いわゆる子規風ではない。
古典の世界にあった移りゆく時の感覚を踏まえてはいるだろう。

ただし、「転生」の内実には
旧暦から新暦への季感の変化と、
旧暦(明治)→新暦(大正)→旧暦的季感の復活(昭和初年)
という虚子の歳時記戦略の変遷がからんでいる。

虚子の句に古今集以来の年内立春歌のような
「春を待ち、言祝ぐ」感覚は見られない。

ともあれ、こういう近代俳句にまで示唆を与えてくれる鈴木さんの
お仕事は大きな恩恵を諸方面にあたえてくれる「泉」なのである。

なお、昨年末には同じ鈴木さんの編で
「鳥獣虫魚の文学史」(三弥井書店)の虫の巻が刊行されて、
私も「蛇性の婬」で書いた。
この4冊のシリーズも古典研究者は無論、
俳人にも実に有益なものであることを
申し添えておきたい。
posted by 雑食系 at 15:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月31日

吉盛智輝「但馬の殿様」

 本を何冊も出すうちに、色々な縁が出来てくる。本書の著者からは、私の仕事についてのオマージュとともに、ご質問を頂いた。

 著者は在野の地域史研究家だが、その域をはるかに超えた博捜で、但馬の大名と分家旗本の「殿様」の来歴を細大漏らさず紹介することを志したもので、大変勉強になった。

 序文にもあるように、殿様には立派な人物も多く、左より日本史学の大名=悪徳・無能史観への異議申し立てが、執筆の動機となっている。今の政治家や官僚の方がよっぽどひどいというわけだ。

 さて、私はと言えば、京極の分家旗本にして、江戸堂上派歌人高門のことを書いたので、丁重なお手紙を頂いたのだった。引っ越しで、まだご返事もできずにいる。

 京極家の子孫には、高浜虚子の高弟京極杞陽もいる。この人の伝記をまとめる最中亡くなった俳人の山田弘子さんからは急逝される数日前にお手紙を頂いていた。

 どうも一本の論文がつなぐ縁というものも、疎かにできないことが最近はわかってきた。来年はさらにどんな縁ができるのか。このブログの読者も含めた今年の縁に感謝し、来年の縁を楽しみにしたい。
posted by 雑食系 at 23:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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